リンク:English version・機械科学コースウェブサイト・コース紹介リーフレット・基礎工website研究紹介
主な研究課題
1-1) 生命の恒常性・適応・老化のメカニズム
当研究室では、細胞が外部環境の変化に対してどのように応答し、機能や状態を安定に保つかといった「恒常性」や「適応」に着目し、これらの現象を物理的原理に基づいて解析しています。とくに、非平衡熱力学・統計力学・固体力学・流体力学などの理論的手法を組み合わせ、細胞の力学的性質やその変容に関する研究を行っています。
細胞は生命の最小単位でありながら、極めて高い柔軟性と応答性を持つことから、生命の原理を理解するうえで重要な研究対象です。当研究室では、機械科学をバックグラウンドとする学生に対しても、数理モデルや物理的視点を通じて生命現象にアプローチする機会を提供しています。
また、細胞の研究を通じて、「老化」や「こころ」の状態など、より高次の生命現象の理解にも取り組んでいます。実験・理論の両面から柔軟な手法を用いて、多面的な解析を進めることが本研究室の特徴です。
これまでに、バイオメカニクスや生命科学分野の主要な学術誌において多数の研究成果を発表しており、国際的な研究発信も積極的に行っています。課題解決型の研究を通して、学生にとっても自発的に考え行動する力を育むことを重視しています。
最近の関連論文
Ueda et al., Sci. Rep. 12, 14466, 2022.
Huang et al., Am. J. Physiol. Cell Physiol. 320, C1153–C1163, 2021.
Saito et al., Biomech. Model. Mechanobiol. 20, 155-166, 2021.
Okamoto et al., Biomech. Model. Mechanobiol. 19, 543-555, 2020.
1-2) 生命のメカニクスとシグナル伝達
細胞の恒常性や適応的応答のメカニズムを明らかにするためには、細胞内の構造的変化とそれに伴うシグナル伝達の理解が不可欠です。当研究室では、細胞内で生じる力学現象とその物理化学的背景に注目し、構造形成や物質輸送のダイナミクスを解析対象としています。
細胞内では、構造物の位置や形状が時間とともに大きく変化し、それに応じて細胞全体の応答性や適応能力が規定されます。これは、生体スケールでは見られない細胞特有の特徴であり、外部環境の変化に対して構造そのものを柔軟に変化させながら適応することが可能です。この点において、細胞はロボットなどの人工物とは本質的に異なる動作原理を持っています。
こうした構造変化や物質輸送を解析するために、当研究室では固体力学や材料力学に基づく変形解析、ならびに拡散・流れを記述する流体力学や反応拡散系の数理モデルを活用しています。細胞内での現象は、反応・移動・変形といった複数の物理過程が相互に関与する「マルチフィジックス系」であり、理論・数値・実験の多面的手法を組み合わせて統合的に理解を進めています。
最近の関連論文
Chantachotikul et al., Cell. Signal. 127, 111616, 2025.
Ding et al., eLife, 105236.1, 2025
Liu et al., Mol. Biol. Cell 33, ar10, 1-11, 2022.
Kang et al., Mol. Biol. Cell 32, ar28, 1-12, 2021.
Kang et al., FASEB J. 34, 8326-8340, 2020.
Fujiwara et al., J. Cell Sci. 24, 390-402, 2019.
Matsui and Deguchi, Am. J. Physiol. Cell Physiol. 316, C509-521, 2019
1-3) 細胞機能計測技術の開発
当研究室では、生命現象の物理的理解に基づく基礎研究と並行して、応用可能性の高い計測技術の開発にも取り組んでいます。その一例として、細胞が発生する微小な力を非侵襲的かつ高精度に可視化・定量化するための手法を開発しています。
従来のTraction Force Microscopy(TFM)は、細胞が基質に加える力を計測する有力な技術ですが、蛍光標識や特殊な撮像・解析工程を必要とするため、操作の煩雑さや低スループット性が課題となっていました。これに対し当研究室では、細胞が柔らかい基板に形成する微細な皺(wrinkle)パターンを画像ベースで解析し、そこから機械学習によって力の分布を推定する新たなアプローチを構築してきました。
この手法は、従来のTFMと同等の情報を、より簡便かつ高速に取得することが可能であり、創薬スクリーニングやフェノタイプ解析などへの応用が期待されます。研究室では、画像処理、AI技術、材料設計、力学解析などの複数分野を横断する形でこの計測系を改良・発展させており、このように基礎科学の発展に貢献するとともに、社会的ニーズに応える実践的な技術開発にも注力しています。
最近の関連論文
Okabe et al., Biophys. J. 124, 4205-4214, 2025.
Li et al., PLOS Comput. Biol. 20(8), e1012312, 2024.
Saito et al., Biophys. J. 121, 2921-2930, 2022.
Li et al., Commun. Biol. 5, 361, 2022.
Saito et al., Exp. Cell Res. 404, 112619, 2021.
2) 細胞遊走・生物遊泳・集団運動のソフトマター物理
生物は多数の個体が協調して動作することで集団として特徴的な振る舞いを見せます。例えば魚・鳥・羊の群れは一体一体それぞれが個別の意思を持っているにも関わらず、集団としてもまるで一体の生物かのように表情豊かな動きを見せます。これらは生物の集団運動と呼ばれ、古くよりこれらの集団運動を簡素な数学・物理モデルで再現しようと盛んに研究(例えば Vicsekモデル (1995) etc)が行われてきました。顕微鏡を覗いた小さいスケールにおいても、細胞や微生物などが集団運動を有効活用し大きなスケールの現象を生み出しており、これら現象を解明するためソフトマター物理・アクティブマター物理の研究が近年盛んになってきました。
私たちは流体力学・材料力学をはじめとする機械科学の知見から、細胞や微生物の個別の動き・集団運動の解析を行っています。
また本研究室は生物に由来するものだけでなく、磁性回転子に関する集団運動についても研究を行っています。小さな磁石に外部から磁場を加え全てに同一の動きを指示することは容易ですが、異なる動作を指示するのは困難と考えられてきました。私たちは磁気回転子に振動磁場(Matsunaga et al., 2019)や回転磁場(Kawai, Matsunaga et al., 2020)を負荷し、その集団運動を制御する方法論を提案しました。
最近の関連論文
Tokoro et al., Physical Review Fluids 11, 023102, 2026.
Kawai et al., Soft Matter 16 (28), 6484-6492, 2020.
Matsunaga et al., Nat. Commun. 10, 4696, 2019.
3) メカノインフォマティクスと創薬
当研究室では、細胞が環境中の力学的刺激に応答する仕組みを解明するため、物理的な普遍性と分子細胞生物学的な具体性の両面からアプローチしています。生命現象において「力」は中心的な役割を果たしますが、物理学が目指す抽象的な一般化のみでは、疾患理解や治療への応用には限界があります。そこで、現象を支える物理的原理に加えて、それに関与する分子の同定・定量化にも注力し、分子レベルでの因果関係の解明と創薬的意義の明確化を目指しています。
しかしながら、従来のメカノバイオロジー実験は限られた数の分子しか対象とできず、得られる情報も定性的であることが多いため、現象の統一的理解や将来的な予測モデルの構築には不十分でした。これに対し当研究室では、物理モデルと分子解析を統合することで、分野横断的に説得力のある研究を展開しています。
そのための基盤技術として、メカノバイオ研究におけるオミックス的アプローチ(mechanome/メカノーム解析)の実現を目指し、ハードウェア・ソフトウェア両面でのハイスループットな実験系を開発しています。具体的には、力学刺激に対する細胞の反応を画像解析・機械学習・自動化システムを通じて網羅的に取得し、細胞の「メカノタイプ(mechanotype)」を定量化するとともに、力学応答に関与するシグナル経路や薬剤のスクリーニングにも活用しています。
このような取り組みにより、「メカノミクス(Mechanomics)」や「メカノ・バイオインフォマティクス(Mechano-bioinformatics)」といった新たな研究領域を開拓し、精密医療(Precision Medicine)への応用や創薬標的の探索、個別化治療の指針提示など、医学・生物学への波及的展開を目指しています。
代表論文
Hamaguchi et al., Sci. Rep. 12, 13818, 2022.
Nehwa et al., Bioch. Biophys. Res. Commun. 521(2), 527-532, 2020.
Matsui et al., PLoS ONE 13(9), e0203448, 2018.
Ichikawa et al., J. Cell Sci. 130, 3517-3531, 2017.
Sakane et al., Mol. Biol. Cell 27(20), 3095-3108, 2016.
4) 裏声・動物発声の力学メカニズム
当研究室では、人間および動物の発声現象を、力学・流体力学・音響学の視点から理論的に解析しています。これまでに、ヒトの発声過程を模擬した三次元数値モデルを構築し(Deguchi et al., 2007, 2011a)、声帯を構成する筋・靱帯などの解剖学的構造に基づく物性、肺からの呼気流との流体構造連成、気道内の音響共鳴といった複数要素を取り入れ、発声異常(声帯結節など)が声に与える影響を解析してきました。
特に私たちは、「裏声(falsetto)」の力学的起源に注目し、従来の説明では不十分とされてきた裏声の自励振動メカニズムの解明を目指しています。裏声は、左右の声帯が接触せず、明瞭な粘膜波動も伴わずに振動が持続する特徴をもち、そのような条件下での声帯の自発的振動の発生は、従来モデルではうまく説明できませんでした。
この問題に対して当研究室では、流体力学の基本方程式に基づいて、喉頭内の高速流に適用可能な理論モデルを独自に導出し(Deguchi and Hyakutake, 2009)、そのモデルを用いて裏声に特有の新たな自励振動機構を提案しました(Deguchi, 2011)。この理論は、従来説明困難であった裏声の発生を、流体的観点から自然に導くものであり、裏声の力学的理解に新たな視座を提供しています。
現在は、この発声メカニズムがヒトに限らず、鳥類や哺乳類など多様な動物に共通する発声機構の一形態である可能性を念頭に、発声における力学的共通原理の普遍性を検証する研究を進めています。将来的には、生物進化における発声器官の適応や多様性を、力学モデルを通じて再構成することも視野に入れています。
代表論文
Deguchi et al., J. Voice 25, e255-e263, 2011.
Deguchi et al., PLoS ONE 6, e17503, 2011.
Deguchi et al., J. Biomech. 42, 824-829, 2009.
Deguchi et al., Ann. Otol. Rhinol. Laryngol. 117, 876-880, 2008.